逸話篇

2. お言葉のある毎に

天保九年十月の立教の時、当時十四才と八才であったおまさ、おきみ(註、後のおはる)の二人は、後日この時の様子を述懐して、「私達は、お言葉のある毎に、余りの怖さに、頭から布団をかぶり、互いに抱き付いてふるえていました。」 と述べている。


中山 まさ

文政8年(1825)4月8日(陽暦5月25日)、中山善兵衛、みき(教祖)の長女として生まれる。立教のときは14歳。

立教以来、神意のままに、貧に落ちていく中山家にあって娘盛りを過ごし、どん底の嘉永6年(1853)29歳の時、豊田の福井治助に嫁ぐ。夫婦の間に鶴太郎(福井姓)、重吉(中山姓)、男子(夭折)の3人が生まれた。

明治11年(1878)2月16日に中山に復籍して分家を立てた。明治28年10月27日出直した(71歳)。なお、中山善衛3代真柱夫人も同名。

ー天理教事典 第三版より抜粋ー

中山 はる【梶本 はる】

おはるとも呼ばれる。

天保2年(1831)9月21日、大和国山辺郡庄屋敷村(現、天理市三島町)で、中山善兵衛、みき(教祖)の三女として出生。

嘉永5年(1852)、22歳の時、添上郡櫟本村の梶本惣治郎と結婚、男5人女2人の7人の子供を授かった。そのうち、三男眞之亮は、中山秀司の長女たまへに入婿、初代真柱となる。

明治5年(1872)6月18日、42歳で出直した。

           ー天理教事典 第三版より抜粋ー