ねぇ。聞いて聞いて!

Ep.17「教祖年祭活動を前に思うこと」

教祖年祭活動を前に思うこと

9月に入ってまもない頃のこと。ヘリコプターがあっちからも、こっちからも飛んでくるので思わず空を見上げていたら、自転車ごと壁にぶつかりました。

この頃、県内では新たにコロナに感染した方の数が1000人超えという状況でしたので、そのヘリコプターで感染者が運ばれているのかな~と何とも言えない思いで見ていたのです。

ヘリコプターといえば、父が出直した時のことを思い出します。

8年前の3月、ちょうど教祖130年祭活動2年目の年に、父は重い病気にかかり医療センターに入院しました。

入院中、私は看病のために病院まで1日2~3往復していたので、医療センターのドクターヘリが出動する時や、到着して急病の方がタンカーで運ばれているところに何度も会いました。その頃から私はヘリコプターの音に敏感になったと思います。

父は入院中、毎日おさづけを取り次いで頂き、放射線治療も順調に進んで病状は日ごとに良くなりました。ただその後、副作用が強く出て、いつもの父の姿ではなくなっていくことに家族は戸惑いました。

そんな時、私の中学時代の親友であり、両親のことをよく知ってくださっていた病棟の看護師長さんが近くの病院に移って、家で過ごしてはどうかと言ってくださり、家族で相談して父を連れて帰ることにしました。入院して3カ月ほど経った時でした。

家に帰った父はとても喜んでくれました。父が家で過ごせたのは一日だけになってしまいましたが、親神様にお礼を申し上げ、周りの人に感謝して家で出直しさせて頂くことができました。

時が経つのは早いもので、来年は教祖140年祭三年千日の活動が始まります。

130年祭の一年目は、おたすけと思い、友だちのところに手伝いに一年通いました。2年目は父の出直しという大きなふしを頂きました。3年目は長男が布教の家に入らせて頂きました。

迎えた教祖130年祭の当日、私はおぢばがえりが叶わなかったので、一人で商店街を神名流しさせて頂きました。

140年祭に向けてはどんなことがあるか分かりませんが、教祖に「よう頑張ったなあ」と言って頂けるような年祭活動をさせて頂きたいです。
精一杯 にこにこと いそいそと

Y.T