明治十年頃のこと。当時二十才の河内国の山田長造は、長患いのため数年間病床に呻吟していた。
ところが、ある日、綿を買い集めに来た商人から、大和の庄屋敷には、不思議な神様が居られると聞き、病床の中で、一心に念じておすがりしていると、不思議にも気分がよくなって来た。湯呑みで水を頂くにも、祈念して頂くと、気分が一段とよくなり、数日のうちに起きられるようになった。
この不思議な御守護に感激した長造は、ぜひ一度、庄屋敷へお詣りして、生神様にお礼申し上げたいと思い立った。家族は、時期尚早と反対したが、当人のたっての思いから、弟与三吉を同行させて、二本の松葉杖にすがって出発した。ところが、自宅のある刑部村から一里程の、南柏原へ来ると、杖は一本で歩けるようになった。更に、大和へ入って竜田まで来ると、残りの一本も要らないようになった。そこで、弟を家へかえして、一人でお屋敷へたどりついた。
そして、取次から、「あんたは、河内から来られたのやろう。神様は、朝から、
『今日は、河内から訪ねて来る人があるで。』
と、仰せになっていたが、あんたの事やなあ。神様は、待っていられるで。」と聞かされて、大層驚き、「本当に、生神様のおいでになる所やなあ。」 と、感じ入った。
かくて、教祖にお目通りして、数々のやさしいお言葉を頂き、約一週間滞在の上、すっきり御守護頂いたので、お暇に上がると、
「又、直ぐ帰って来るのやで。」
と、お言葉を下さった。
こうして、かえりは信貴山越えで、陽気に伊勢音頭を歌いながら、元気にかえらせて頂いた、という。