明治十一年、上田民蔵十八才の時、母いそと共に、お屋敷へ帰らせて頂いた時のこと。教祖が、
「民蔵さん、私とおまはんと、どちらの力強いか、力比べしよう。」
と、仰せになり、教祖は、北の上段にお上がりになり、民蔵は、その下から、一、二、三のかけ声で、お手を握って、引っ張り合いをした。力一杯引っ張ったが、教祖は、ビクともなさらない。民蔵は、そのお力の強いのに、全く驚歎した。
又、ある時、民蔵がお側へ伺うと、教祖が、
「民蔵さん、あんた、今は大西から帰って来るが、先になったら、おなかはんも一しょに、この屋敷へ来ることになるのやで。」
と、お言葉を下された。民蔵は、「わしは百姓をしているし、子供もあるし、そんな事出来そうにもない。」 と思うたが、その後子供の身上から、家族揃うてお屋敷へお引き寄せ頂いた。
又、ある時、母いそと共にお屋敷へ帰らせて頂いた時、教祖は、
「民蔵はん、この屋敷は、先になったらなあ、廊下の下を人が往き来するようになるのやで。」
と、仰せられた。
後年、お言葉が、次々と実現して来るのに、民蔵は、心から感じ入った、という。