こころのホームルーム

8限目:「嫌い」は伸びしろ

「嫌い」は伸びしろ

「毎日の生活というものは、単純な繰り返しで退屈なものだ。」という言葉を聞くことがあります。

毎朝、決まった時間に起き、同じような仕事、作業を繰り返す。

学生であれば、月曜日はこれ、火曜日はこれと、決められた授業を受ける、確かに生活の大半が同じことの繰り返しのように思います。

毎日同じ事を繰り返すことは、毎日の生活を退屈に感じることにもなると思います。

退屈の原因はいくつかあると思いますが、その中の一つを考えますと、例えば、皆さんそれぞれ、得意な科目、苦手な科目というものがあると思います。そして授業を受ける時は、それに合わせて、気持ちも浮き沈みしてしまいがちであろうと思います。

そういった得意、不得意といった問題は、何に対しても起こるもので、苦手な食べ物や、苦手な場所、苦手な人、といったように、常に自分に付きまとう問題でもあります。

また苦手な人や物が多ければ多いほど、それだけ不自由で退屈な生活を送らざるを得ない、と言えるのであります。

「勇んで掛かれば、ほこり散る」

少し話が変わりますが、天理教には「勇んで掛かれば、ほこり散る」という言葉があります。これは、気持ちの切り替えの大切さを教えて頂いている言葉だと思います。

どんな嫌な事、嫌な人が相手でも、気持ちを切り替えて、自分から楽しんで、勇んでやろうと思って取り掛かれば、どんな事でも喜んで、心晴れやかに取り組めるのだろうと思います。

嫌いだと思っていた食べ物も、思い切って食べてみれば意外と普通に食べることが出来たり、苦手な人にでも、思い切って挨拶をしたら笑顔で返事してもらえたりと、不安だったことも、いざ、してみれば思っていたより良い結果になることは珍しくありません。

何気ないことかも知れませんが、その姿が自分から楽しんで勇んで通ろうとした自分の心の姿であり、また新しい出来事、新しい喜びに気づくことが出来た、退屈な心から一歩成人した姿なのではないでしょうか。