「袖振り合うも他生の縁」~人との絆を大切に~
結婚してまもない頃、教祖伝逸話篇の行商に出ながら病人を探しておたすけにまわられていた先生のお話(十三、種を蒔くのやで)を知った。
その時、戸別訪問が大の苦手な私は「この話のような感じなら私にもできるかもしれない」と思い込み、毎日教会からまず一歩外に出るということを考えていた。
「一度決めたことは何が何でもつらぬき通すことが大事」という知人の一言が決め手となり、地域の行事や期間限定のアルバイト、フリーマーケットなど外に出ることを実行した。その度新しい出会いがあり、現在何かしら教会にお供えして下さる方々の多くは、その出会いから繋がらせていただいている。
大阪の「お父さん」
大阪の勤務先で知り合ったAさんは当時50過ぎでバリバリの働き盛りだった。義理人情に厚く、さりげなく人の世話ができる方なので、人から信頼され、いつの頃からか周りから「お父さん」と呼ばれるようになっていった。
会社を退職し、結婚してからも度々連絡を取っていた。電話口では天理教とはどのような教えか、教会ではどのようなことをするのか度々聞いて下さっていたかと思う。
そんなやりとりの期間がしばらくあった後、意を決して別席を勧めてみたところ、自分のためになる話ならばとあっさりと受けてくださった。
おさづけ拝戴後は家族にも勧め、一家揃ってようぼくとなり神実様もおまつり下された。
本部月次祭もほとんど毎月家族で参拝し、周りの方々に別席を勧めたり、こどもおぢばがえりのお誘いや天理時報の購読者の世話取りなど進んでしてくださった。
いつしか私は父娘のように側にいて当たり前のような存在となっていた。今となっては実家の両親よりもAさん家族とのほうがよく会っていたかと思う。
「お父さん」の突然の出直し
昨年7月に突然「お父さん」が80歳で出直された。
あまりに急なことだったので、すぐには受け入れられなかった。葬儀が済んで一週間ほど経った頃「お父さん」が夢枕に立った。
「もう! お父さん、突然おられんようになって! 寂しいやんか!」と私が泣きながら言うと「また神さんに元気な身体を借りて帰ってくるわ!」と「お父さん」は笑顔で応えた。その笑顔で私に安堵の気持ちが生まれた。
また新しい身体を借りてこの世に帰ってくることを楽しみにしているようだった。
いつしかその魂に出会えることを願い、会える日を楽しみに過ごしている。
Kあられ