逸話篇

200. 大切にするのやで

 明治二十年一月十一日、紺谷久平は、信者一同が真心をこめて調製した、赤い衣服一枚と、赤の大きな座布団二枚を、同行の者と共に背負うて、家を出発し、おぢばに帰らせて頂き、村田幸右衞門宅で宿泊の上、山本利三郎の付添いで、同一月十三日、教祖にお目通りした。教祖は、御休息所の上段の間で寝んで居られ、長女おまさが、お側に居た。
 山本利三郎が、衣服を出して、「これは、播州飾磨の紺谷久平という講元が、教祖にお召し頂きたいと申して、持って帰りました。」と申し上げると、教祖は御承知下され、そこで、その赤い衣服を上段の間にお納め下された。つづいて、座布団二枚を出して、山本が、「これも日々敷いて頂きたい、と申して、持って参りました。」と申し上げると、教祖は、それも、お喜び下されて、双方とも御機嫌宜ろしくお納め頂いた。
 それから仕切りの襖を閉めて、一寸の間、そちらへ寄っておれ、とのことで、山本は下の八畳の間に下りる。紺谷も、共に畏まっていると、おまさが襖を開けて山本を呼んだので、山本が教祖のお側へ寄らせて頂くと、赤衣を一着お出しになって、
 「これをやっておくれ。」
と、仰せられ、つづいて、
 「これは、粗末にするのやないで。大切にするのやで。大事にするのやで。」
と、仰せになった。山本は、「きっと、そのことを申し聞かします。」とお答えして、八畳の間に下り、紺谷に、教祖から、そう申された、と詳しく話して聞かせた。こうして、紺谷久平は、赤衣を頂戴したのである。