逸話篇

121. いとに着物を

 明治十六年六月初(陰暦四月末)、山田伊八郎、とその妻こいそは、長女いくゑを連れて、いくゑ誕生満一年のお礼詣りに、お屋敷へ帰らせて頂いた。すると、教祖は、大層お喜び下され、この時、
 「いとに着物をして上げておくれ。」
と、仰せられ、赤衣を一着賜わった。
 これを頂いてかえって、こいそは、六月の末(陰暦五月下旬)に、その赤衣の両袖を外して、いくゑの着物の肩布と、袖と、紐にして仕立て、その着初めに、又、お屋敷へお礼詣りをさせて頂いた。
 その日は、村田長平が、藁葺きの家を建てて、豆腐屋をはじめてから、三日目であった。教祖は、
 「一度、豆腐屋の井戸を見に行こうと思うておれど、一人で行くわけにも行かず、倉橋のいとでも来てくれたらと思うていましたが、ちょうど思う通り来て下されて。」
と、仰せられ、いくゑを背負うて、井戸を見においでになった。
 教祖は、大人だけでなく、いつ、どこの子供にでも、このように丁寧に仰せになったのである。そして、帰って来られると、
 「お蔭で、見せてもろうて来ました。」
と、仰せられた。
 この赤衣の胴は、おめどとしてお社にお祀りさせて頂いたのである。