明治十九年夏、松村吉太郎が、お屋敷へ帰らせて頂いた時のこと。多少学問の素養などもあった松村の目には、当時、お屋敷へ寄り集う人々の中に見受けられる無学さや、余りにも粗野な振舞などが、異様に思われ、軽侮の年すら感じていた。ある時、教祖にお目通りすると、教祖は、
「この道は、智恵学問の道やない。来る者に来なとは言わん。来ぬ者に、無理に来いと言わんのや。」
と、仰せになった。
このお言葉を承って、松村は、心の底から高慢のさんげをし、ぢばの理の尊さを、心に深く感銘したのであった。
明治十九年夏、松村吉太郎が、お屋敷へ帰らせて頂いた時のこと。多少学問の素養などもあった松村の目には、当時、お屋敷へ寄り集う人々の中に見受けられる無学さや、余りにも粗野な振舞などが、異様に思われ、軽侮の年すら感じていた。ある時、教祖にお目通りすると、教祖は、
「この道は、智恵学問の道やない。来る者に来なとは言わん。来ぬ者に、無理に来いと言わんのや。」
と、仰せになった。
このお言葉を承って、松村は、心の底から高慢のさんげをし、ぢばの理の尊さを、心に深く感銘したのであった。