「母の笑顔を思い浮かべながら」
約10年前、実母が乳がんを患い、52歳で出直しました。母は、私が中学生の頃、再生不良性貧血という病気で、すでに10年以上治療している最中でもありました。
その治療の最中に急変し、命が危ない状態になったことがありました。たまたま一人で付き添っていた私は、苦しむ母の姿を見て、このままお母さんが居なくなってしまうかもしれないと頭をよぎり、頭が真っ白になっていました。
その時、側に居た看護師さんが「心配やね。大丈夫だよ」と優しく声をかけ、ギュッと抱きしめてくれました。私はその看護師さんの胸をかりてワンワン泣いたことを、昨日のことのようによく覚えています。
看護師の仕事を通して
あの時のことが忘れられず、私は病気の人や、その家族に寄り添っていく看護師になりたいと決意し、その道に進みました。
私は小児科に配属されました。言葉では言い尽くせない経験をさせて頂いたと思います。
小さな身体で病気とたたかい、つらい治療に耐え、がんばっている姿に、逆に元気をもらっていたようにも思います。時にはつらい別れもありました。我が子の出直しを見送らなければならないご両親。どれほどの悲しみなのか。そのことを思うとギュウっとなり、張り裂けそうです。未熟ながらに、命の大切さ、尊さを身に染みて感じ得る経験をさせて頂きました。
母は持病の再生不良性貧血があったため、乳がんが見つかった時は積極的な治療ができず、その後一年で出直しました。しかし、最初に病気が分かってから、「何度も危ない所を神様にたすけて頂き、そのことを思えば長く置いてもらった。みんなで笑って暮らせて幸せだった」と言って出直していきました。全身状態が悪くしんどかっただろうに、幸せだったよと言っていた母は、本当に強い人だったなあと改めて思います。
自分や家族が健康に過ごさせて頂いていることは、本当に尊く有難いことだと思っていながら、ついつい日々イライラしたり、不足に思ってしまうことも多々あります。
しかし、一人一人の命が尊いということは言うまでもありませんが、泣いたり、笑ったり、怒ったり、家族と過ごせる日々、まるごとすべて尊いものであり、そんな中で、家族や周りの人たちが笑顔で尊い日々を過ごしてもらえるように、自分がどんなことができるのか、また、どんな自分でありたいのか、自問自答しながら通っていきたいと思っています。
母を想う時、いつも笑顔の顔ばかり浮かびます。子供の前でいつも鬼の形相ばかりの私。笑顔に勝る化粧なし。まだまだ修行が足りません。
ペンネーム Halu