明治七年、岡田与之助(註、後の宮森与三郎)十八才の時、腕の疼きが激しく、あちこちと医者を替えたが、一向に快方へ向かわず、昼も夜も夜具にもたれて苦しんでいた。それを見て、三輪へ嫁いでいた姉のワサが、「一遍、庄屋敷へやらしてもろうたら、どうや。」と、にをいをかけてくれた。
当人も、かねてから、庄屋敷の生神様のことは聞いていたが、この時初めて、お屋敷へ帰らせて頂いた。そして、教祖にお目通りすると、
「与之助さん、よう帰って来たなあ。」
と、お言葉を下された。そのお言葉を頂くと共に、腕の疼きは、ピタッと治まった。その日一日はお屋敷で過ごし、夜になって桧垣村へもどった。
ところが、家へもどると、又、腕が疼き出したので、夜の明けるのを待ちかねて、お屋敷へ帰らせて頂いた。すると、不思議にも、腕の疼きは治まった。
こんな事が繰り返されて、三年間というものは、ほとんど毎日のようにお屋敷へ通った。そのうち、教祖が、
「与之助さん、ここに居いや。」
と、仰せ下されたので、仰せ通り、お屋敷に寝泊まりさせて頂いて、用事を手伝わせてもらった。そうしないと、腕の疼きが止まらなかったからである。
こうして、与之助は、お屋敷の御用を勤めさせて頂くようになった。