明治十七年春、佐治登喜治良は、当時二十三才であったが、大阪鎮台の歩兵第九聯隊第一大隊第三中隊に入隊中、大和地方へ行軍して、奈良市今御門町の桝屋という旅館に宿営した。
この時、宿の離れに人の出入りがあり、宿の亭主から、「あのお方が、庄屋敷の生神様や。」とて、赤衣を召された教祖を指し示して教えられ、お道の話を聞かされた。
やがて教祖が、登喜治良の立っている直ぐ傍をお通りになった時、佐治は言い知れぬ感動に打たれて、丁重に頭を下げて御辞儀したところ、教祖は、静かに会釈を返され、
「御苦労さん。」
と、お声をかけて下された。
佐治は、教祖を拝した瞬間、得も言われぬ崇高な念に打たれ、お声を聞いた一瞬、神々しい中にも慕わしく懐かしく、ついて行きたいような気がした。
後年、佐治が、いつも人々に語っていた話に、「私は、その時、このお道を通る心を定めた。事情の悩みも身上の患いもないのに、入信したのは、全くその時の深い感銘からである。」と。