逸話篇

155. 自分が救かって

 明治十七年頃のこと。大和国海知村の森口又四郎、せきの長男鶴松、三十才頃の話。背中にヨウが出来て痛みが激しく、膿んで来て、医者に診てもらうと、「この人の寿命は、これまでやから、好きなものでも食べさせてやりなされ。」と言われ、全く見離されてしまった。それで、かねてからお詣りしていた庄屋敷へ帰って、教祖に直き直きおたすけをして頂いた。
 それから二、三日後のこと。鶴松が、寝床から、「一寸見てくれんか。寝床が身体にひっ付いて布団が離れへんわよう。」と叫ぶので、家族の者が行って見ると、ヨウの口があいて、布団が、ベタベタになっていた。それから、教祖に頂いたお息紙を、貼り替え貼り替えしているうちに、すっかり御守護を頂いた。
 それで、お屋敷へお礼詣りに帰り、教祖にお目通りさせて頂くと、
 「そうかえ。命のないとこ救けてもろうて、結構やったな。自分が救かって結構やったら、人さん救けさしてもらいや。」
と、お言葉を下された。鶴松は、この御一言を胆に銘じて、以後にをいがけ・おたすけに奔走させて頂いた。