ねぇ。聞いて聞いて!

Ep.14「幸せのカケラ」

先日、キッチンに立ち、洗い物をしていたら、窓辺が何やら明るく感じました。手元から視線を上げ、窓辺を見ると、一輪のピンクの椿の花が花器に挿してありました。

 庭に咲く椿があまりに可愛く、きれいだったので、長女がそっと挿しておいてくれたそうなのです。

 花がそこにある。それだけで、いつも見慣れた風景がふわりと温かくなり、心が潤ったように感じました。

 花の美しさ、その花を見て美しいと感じ、私にも見せてあげたいと願ってくれた心。それらに私の心も動かされたのです。その日一日、私はキッチンに立つたびに、小さな幸せをほんのり味わっていました。

“ない”世界から、“ある”世界へ

「生きる喜びを味わう」って、日々の暮らしの中で、この小さな幸せのカケラを拾い集めることだと思うのです。この小さな幸せのカケラをたくさん集めると、あふれる喜びになります。そして、このあふれる喜びこそ、周囲に広がり、陽気ぐらしの礎だと思うのです。

 そこで私が、毎朝決意していることがあります。決意と言っても、大それたことではありませんが…。それは、

「現実の“ない”世界を見るメガネから、“ある”世界を見るメガネにつけかえる」。

 今日は、どれだけ“ある”を集められるかな? “ない”から“ある”にできるかな? そんなちょっとしたワクワクした気持ちでいます。

 そして、この決意をして外に出ると、キッチンの椿のように、目の前の風景の中に、様々な幸せのカケラが流れ込んでくるのです。

 子どもたちの送迎時の車では、毎瞬、移りゆく空の美しさ、お日様の温もり、車中に流しているBGMの心地良さ、狭い道での行き違いで待ってくださる対向車の人のやさしさ、買い物に立ち寄った時のレジの店員さんの笑顔…。

 目の前に広がる世界に、ここにも「あった!」、あそこにも「あった!」と、キラキラ光る小さな喜びのカケラを発見しては、温かで、幸せな気持ちを味わっています。

“ある”世界で見えるもの

 さて、この“ある”世界を見るメガネ。子どもたちとの暮らしにも、とても素敵な功を奏します。毎日の暮らしで、必ず遭遇するのが片付け問題。

 モノがそのままになって、散らかった部屋を見ると、それだけでため息とイライラが。でも、ここで一呼吸して、“ある”のメガネの出番なのです。

 このモノ一つ一つには、子どもたちの「こうしよう!」「やりたい!」という気持ちがあって、それを行動し、「楽しい!」や「うれしい!」と思う喜びの時間があったんだなあ…。そう思うと、不思議と邪魔に思えていたモノたちへ、愛しさすらわいてくるのです。

勉強道具の一つ一つ、消しカスには、ここで「頑張っていた」痕跡だなあ…。私の小さな頃より、よっぽどえらい!なんて、称賛する気持ちまで生まれてきたり。

 この私の“ある”を見つめる時間は、ものの数分。でも、私の心は、明らかに、ホッとゆるみ、何なら眉間のシワがなくなり、微笑みまで生まれてしまったのです。そして、子どもたちに、穏やかに片付けをお願いし、快くみんながサッと片付けてくれ、食事の準備も手伝ってくれたり、楽しい会話が弾んだりするオマケまでついてきたのです。

“ある”のメガネってすごい!!と感じた瞬間でした。

 子どもの成長と共に、できて当たり前、もっとこうしてほしい、と“ない”の世界を見ていた私ですが、こうして、小さな“ある”を見つめる世界に移行した時、

― 朝、自分で起きてくれた、元気にあいさつしてくれた、ご飯をおいしいと食べてくれた、学校から無事に帰ってきてくれた、そばで笑ったり、怒ったりしながら、ただ、存在してくれている ―

“ありのまま”でもこんなにたくさんの幸せがある、と、本当に感謝がわいてくるのです。

 そして、この“ある”のメガネを今度は自分にも向けてみると、今まであれもできない、これもできない、と、できないことばかりに目を向け、自分を責めていたのが、

― 今日もご飯を作れた、子どもたちを元気に送り出せた、世界の美しさを感じられた ―

と、一つ一つ、自分の中の小さな“ある”を感じ、とても満たされた気持ちになるのです。それは、また今日も“ある”のメガネで見てみよう!という決意にもつながっていくのです。

 今日も心を小さな幸せのカケラでいっぱいにしよう。そして、あふれる喜びを世界へまき散らそう! そんなことを思いながら、朝が始まります。

M.M