平野楢蔵が、明治十九年夏、布教のため、家業を廃して谷底を通っている時に、夫婦とも心を定め、「教祖のことを思えば、我々、三日や五日食べずにいるとも、いとわぬ。」と決心して、夏のことであったので、平野は、単衣一枚に浴衣一枚、妻のトラは、浴衣一枚ぎりになって、おたすけに廻わっていた。
その頃、お屋敷へ帰らせて頂くと、教祖が、
「この道は、夫婦の心が台や。夫婦の心の真実見定めた。いかな大木も、どんな大石も、突き通すという真実、見定めた、さあ、一年経てば、打ち分け場所を許す程に。」
と、お言葉を下された、という。