教祖は、かねてから飯降伊蔵に、早くお屋敷へ帰るよう仰せ下されていたが、当時子供が三人ある上、将来の事を思うと、いろいろ案じられるので、なかなか踏み切れずにいた。
ところが、やがて二女のマサヱは眼病、一人息子の政甚は俄かに口がきけなくなるというお障りを頂いたので、母親のおさとが教祖にお目にかからせて頂き、「一日も早く帰らせて頂きたいのでございますが、何分櫟本の人達が親切にして下さいますので、それを振り切るわけにもいかず、お言葉を心にかけながらも、一日送りに日を過しているような始末でございます。」 と、申し上げると、教祖は、
「人が好くから神も好くのやで。人が惜しがる間は神も惜しがる。人の好く間は神も楽しみや。」
と、仰せ下された。おさとは重ねて、「何分子供も小そうございますから、大きくなるまでお待ち下さいませ。」 と、申し上げると、教祖は、
「子供があるので楽しみや。親ばっかりでは楽しみがない。早よう帰って来いや。」
と、仰せ下されたので、おさとは、「きっと帰らせていただきます。」 とお誓いして帰宅すると、二人の子供は、鮮やかに御守護を頂いていた。かくて、おさとは、夫の伊蔵に先立ち、お救け頂いた二人の子供を連れて、明治十四年九月からお屋敷に住まわせて頂く事となった。