逸話篇

139. フラフを立てて

 明治十七年一月二十一日(陰暦 前年十二月二十四日)、諸井国三郎は、第三回目のおぢば帰りを志し、同行十名と共に出発し、二十二日に豊橋へ着いた。船の出るのが夕方であったので、町中を歩いていると、一軒の提灯屋が目についた。そこで、思い付いて、大幅の天竺木綿を四尺程買い求め、提灯屋に頼んで旗を作らせた。
 その旗は、白地の中央に日の丸を描き、その中に、天輪王講社、と大きく墨書し、その左下に小さく遠江真明組と書いたものであった。一行は、この旗を先頭に立てて、伊勢湾を渡り、泊まりを重ねて、二十六日、丹波市の扇屋庄兵衞方に一泊した。
 翌二十七日朝、六台の人力車を連らね、その先頭の一人乗りにはこの旗を立てて諸井が、つづく五台は、いずれも二人乗りで二人ずつ乗っていた。
 お屋敷の表門通りへ来ると、一人の巡査が、見張りに立っていて、いろいろと訊問したが、返答が明瞭であったため、住所姓名を控えられただけですんだ。
 お屋敷へ到着してみると、教祖が、数日前から、
 「ああ、だるいだるい。遠方から子供が来るで。ああ、見える、見える。フラフを立てて来るで。」
と、仰せになっていたので、お側の人々は、何んの事かと思っていたが、この旗を見るに及んで、成る程、教祖には、ごらんになる前から、この旗が見えていたのであるなあ、と感じ入った、という。
    註 フラフは、元来オランダ語で、vlag と書く。旗の意。
 明治十二年、堺県令に対して呈出した「蒸気浴フラフ御願」の中にも「私宅地ニ於テ蒸気浴目印フラフ上度候間」という一文がある。これを見ても、フラフが、旗を意味する帰化日本語として、コレラ、ガラス、ドンタクなどと共に、当時、広く使用されていたことを知る。